2017-04-21 第193回国会 参議院 本会議 第19号
この間、片山先生は、大蔵委員長、予算委員長等の重責を担われ、また、宮澤改造内閣の大蔵政務次官、第二次森改造内閣の郵政大臣、自治大臣、総務庁長官に続き、省庁再編を経て、第一次小泉第一次改造内閣に至るまで総務大臣として国政の中枢に参画され、その卓越した政治手腕を遺憾なく発揮されてこられました。
この間、片山先生は、大蔵委員長、予算委員長等の重責を担われ、また、宮澤改造内閣の大蔵政務次官、第二次森改造内閣の郵政大臣、自治大臣、総務庁長官に続き、省庁再編を経て、第一次小泉第一次改造内閣に至るまで総務大臣として国政の中枢に参画され、その卓越した政治手腕を遺憾なく発揮されてこられました。
(拍手) 他方、内閣では、平成九年、第二次橋本改造内閣の文部大臣として初入閣を果たされ、平成十二年十二月には、第二次森改造内閣において初代文部科学大臣に就任をされました。 在職中、平成九年に作成した教育改革プログラムを発展させる形で、平成十三年一月に、教育改革の実行計画として二十一世紀教育新生プランをまとめられました。
平成十二年の七月に森改造内閣で通産大臣に就任させていただいて、御指摘のように二年八カ月に相なります。その間、景気は若干持ち直しの様相を呈したときもありますけれども、総体的に言って非常に厳しい状況でございました。
私は、一昨年十二月に、当時、森改造内閣でしたけれども、入閣しました。一週間ぐらいの間に、私は、この破綻した朝銀に金融整理管財人を派遣しました。そういう決定をしたんです、それよりもはるかに前に破綻をしておったんですけれども。これは通常は、破綻金融機関と受け皿金融機関が名乗り出ますと、受け皿金融機関というのは通常は破綻金融機関と利益相反の関係になる。
あなたは、昨年の暮れ、森改造内閣ができたとき、私との雑誌の対談で、この内閣は歴代最高のできだと豪語されました。しかし、その内閣は、結局何もできませんでした。しからば、森内閣ではできなかったことがあなたの内閣ではできるということがどこにあるのでしょうか。 次に、自公保連立という政権の枠組みを全く変えないままに、なぜ今度は改革断行内閣と言えるのか、あなたは国民に説明する義務があります。